History of
Osaka Castle
band Shell
大阪城音楽堂 沿革

大阪城音楽堂は、豊臣秀吉が大坂城の築城を開始した天正11年(1583)から数えて400年たった昭和58年(1983)の「大阪城築城400周年」を前に、昭和57年(1982)5月15日にオープンしました。

写真提供:大阪市教育委員会事務局
写真提供:大阪市教育委員会事務局
写真提供:大阪市教育委員会事務局
写真提供:大阪市教育委員会事務局

正式名称は「大阪市立大阪城音楽堂」。ステージ間口23.4メートル、奥11.2メートル、高さ10.3メートル、リハーサル室、楽屋調音調光室を完備し、客席数、椅子席1955席と芝生席で3,110人という、当時としては最新の音響、照明設備を備えた野外音楽堂でした。また、大阪市音楽団事務所(現大阪城パークセンター)と併せて計画されました。

写真提供:大阪市教育委員会事務局
写真提供:大阪市教育委員会事務局

大阪城音楽堂までの
歴史

明治45年
天王寺公園内に「天王寺公園奏楽堂」として、陸軍第四師団軍楽隊が中心となりコンサートを実施。
昭和3年
天王寺公園内に3,400人収容の野外スタンドも併せ持ち当時としては、超モダンな音楽の殿堂として「天王寺音楽堂」が誕生。昭和56年(1981)に53年にわたる歴史を刻んで閉館。現在の大阪城音楽堂に引き継がれました。
天王寺音楽堂
写真提供:大阪市教育委員会事務局
天王寺音楽堂で「たそがれコンサート」が始まった時のニュース。左に光る塔は、通天閣です。
写真提供:大阪市教育委員会事務局

あの油絵は…

音楽堂入口の油絵は天王寺音楽堂を描いたものと言われています。

写真提供:大阪市教育委員会事務局

音楽堂の下には
豊臣期大坂城の遺跡が

昭和54年(1979)、大阪城音楽堂建設予定地の発掘調査が行われました。
地下3メートルほどの深さから、高さ2メートル、南北の長さ約30メートル以上の石垣が出現。
石垣の積み方が、野面済みであり豊臣期の石垣と考えられています。

昭和54年の発掘現場の様子
提供:大阪市教育委員会事務局
昭和54年の発掘現場の様子
提供:大阪市教育委員会事務局
指定管理者 大阪城パークマネジメント共同事業体
  • ■代表者:
    大阪城パークマネジメント株式会社
  • ■構成員:
    株式会社電通 関西支社
    讀賣テレビ放送株式会社
    大和ハウス工業株式会社 大阪本店
    大和リース株式会社
    株式会社NTTファシリティーズ